エニグマ変奏曲

エルガー エニグマ変奏曲
E.Elgar / Variations on an Original Theme for orchestra (Enigma Variations) op.36

 エルガー41歳の時に作曲された「オリジナルのテーマによる変奏曲」は、「エニグマ変奏曲」の通称で知られている。エルガー本人が”Enigma”と出版譜に入れてもいいと認めたため、むしろ正式名称を知らない方のほうが多いかもしれない。Enigma−−謎かけ、という意味のギリシア語なのだが、その名の通り謎に満ちた作品であり、その謎は彼の死後も判明していないままなのだ。そして、謎かけをされると解きたくなるのは万国共通なのだろうか……この曲の初演が大成功したことで、エルガーはアラフォーにしてようやくブレイクしたことになる。実は遅咲きの作曲家なのだ。
 曲の作られたきっかけはしかし、本当にささやかなものだった。音楽家としては比較的珍しく真っ当に結婚したエルガーは、婚約した時にも妻に曲を贈っている(この曲がまた有名な「愛の挨拶」になる)ほどの愛妻家なのだが、ある日物思いにふけりながらピアノに向かって適当に弾いていた音がたまたまそのアリス夫人の耳にとまり、「その曲もう一度繰り返してもらえる?」と頼まれたエルガーが妻を喜ばせるためにその場の即興で自分も含めた友人たちの音楽的肖像としての変奏曲に作り上げてしまった……という。俗に言う”リア充”を地でいく曲とも言えるのかもしれない。

 さて、『謎』である。
 エルガー本人によると、この曲には2つの大きな謎が隠されているという。本人の生前の言葉もだが、ピアノロール演奏盤に寄せられた解説に書かれているので間違いない。そのうちの1つは各変奏につけられたイニシャルや略称がその肖像の人物を表しているというもので、これは1つを残して全てが解明している(…がネタバレ防止のためにここには回答は載せない)。
 もう1つが問題なのだ。『主題とは別に、作品中には現われない謎の主題も使われている』とエルガーが語っている。『その謎については説明しまい。その「陰の声」については想像できないようにしておこう。』と前出の解説にも書かれている。一応この「陰の声」は非常に有名な旋律の変奏である、とエルガーが言及しているのだが、諸説あるものの、未だ解答には至っていない…それを示さずエルガーが亡くなってしまったため、完全に解明されることはないだろう。

 曲自体は比較的わかりやすい作りのゆったりした主題と、メロディーや和音、リズムと様々な角度で手を変え品を変えた14の変奏が続く。1つ1つがブラームスに比べて非常にキャラクターに富んでいるのは、やはり友人たちの肖像−−それも非常に目立つ特徴や事柄に触れているからだろう。
 ヴァイオリンとクラリネットが1つずつテーマを見せる主題。同じテンポで入る1人目は穏やかな優しさに溢れていて、エルガー曰く人となりを知っていれば誰だかわかるとしている。2人目は友人の様子のパロディで歯切れはいいがどこかユーモラス。3人目は友人の特技をめまぐるしいく唐突な高低差を持つ音で表している。非常に精力的なさまの4人目はパーティーの準備をしているところ。5人目は穏やかな中に突然オーボエが模した笑い声が響く奇抜な人物。6人目ではその人物が習っていたヴィオラがソロを奏でる。7人目は嵐のようなせっかちさで通り過ぎ、8人目は正反対と言えるほどに優雅な人物が軽やかな笑い声を上げている。9人目はこの中でも特に1人だけで演奏されることが多いのだが(先だってのロンドンオリンピックでも演奏された)、友人たちの中でも親密であり尊敬していたのが崇高な広がりにあらわれる。10人目は非常に愛らしくあどけない口調が微笑ましく映る。11人目は人ではなく飼い犬の吠え立てる様子が笑いを誘う。12人目はソロを持つチェロを演奏した内向的な人物。13人目は、実はイニシャルも消された謎の人物、メンデルスゾーンの「静かな海と楽しい航海」からの引用から航海途上にある人ではないかと推測。最後の14人目だけはネタばらしをすると自画像になっており、いろんな友人たちを回想し、創作に悩みながらも作品という名の勝利をつかんで、壮麗な雰囲気で曲が締めくくられる。

 それにしても、どこをどうすればピアノの即興にこれだけの謎を瞬時に閉じ込めてしまえるのか……これもまた、謎の1つなのかもしれない。