波瀾万丈なアラフォーたち

世間的にはこういう人たちが作曲家像なんだろうなあ、きっと……
と波瀾万丈な方々を書きながらぼんやり思った
うんちく担当のさこです。

でもさ、アラフォーよ、アラフォー。
こんなんばっかりおったら怖いっちゅーねん……。

 

さて、あまり共感したくないけれど…
それでも居並ぶ中ではあまり山谷の少ない方達から。

まず、いわゆる「演奏家・作曲家として成功」していた方たち。
サラサーテやドヴォルザーク、リヒャルト・シュトラウス、オネゲルは
地元で成功してどこにも属さずに活動を行っています。
ベルリオーズは演奏旅行をおこなったり産業博覧会での演奏会をプロデュース。
ブルッフはドイツを出てリヴァプール・フィルハーモニー協会の首席指揮者。
ドビュッシーはレジオン・ドヌール五等勲章を受勲するほどの活躍。
エネスクはフィラデルフィア管弦楽団の演奏会でニューヨークで指揮者デビュー。
それすらも突き抜けてたのがロッシーニ。
パリのイタリア座音楽監督をしていたのが、44歳にして音楽界から引退…(早っ

逆に、成功せずに流転を余儀なくされたのはチャイコフスキー。
結婚に失敗した末にアラフォーのほとんどをヨーロッパを転々とします。
流転まではいかなくとも、病魔に蝕まれて…というのが
ちょうど40歳頃に全聾になったベートーヴェンや
慢性の病弱気質が悪化したパガニーニ。

 

あと、時代的なキーワードとしては「戦争」と「革命」。
有無を言わせず巻き込まれて流転を余儀なくされる方たちも。

ワーグナーはちょうどアラフォー前後に
ドレスデンで起こったドイツ三月革命の革命運動に参加。
亡命先のチューリッヒでローエングリンとニーベルングの指環を手がけます。

第一次世界大戦で従軍していたのがラヴェル。しかも彼は
大戦中に母を亡くし、アラフォー時代はあまり大きな創作はしていません。
プロコフィエフはロシア革命を避けて亡命、
アメリカ・ドイツ・パリと転々とした時代。
同じくストラヴィンスキーも第一次世界大戦と同時にスイスに移住。
パリで『プルチネルラ』初演したりと活躍します。
ラフマニノフは十月革命の真っただ中もロシアに居たものの、
結局革命が成就した後はスカンディナヴィア諸国への演奏旅行にでかけ、
そのままロシアの地を踏む事はなかったようです。
逆にシマノフスキはポーランドの独立を経てワルシャワに居を構えます。

コルンゴルトはユダヤ系であったため、
第二次世界大戦のナチス・ドイツのオーストリア併合によって
アメリカに亡命してオペラ作曲家から映画音楽へ。
コープランドと同じくアカデミー作曲賞を取ります。
同じくユダヤ人で亡命した中にはミヨーも。
ショスタコーヴィチはロシアに居ながら非常に批判的な性格だったため
勲章を受けては批判して…の繰り返し。一応アラフォー時代では
交響曲第5番の成功から名誉を回復してレニングラード音楽院、モスクワ音楽院の
教授をしていた比較的穏やかな時代になります。

 

最後に…アラフォーまでに亡くなられた方も実は多いのです。
モーツァルトからシューベルト、ショパン、シューマン、
ベッリーニ、ビゼー、ウェーバー、ムソルグスキー……。
彼らがアラフォーを超えていたら、
どんな作品を生み出したんだろうなあ…。

…と、思いを馳せながらALAPHOの演奏を聴いて頂くのはいかがでしょうか。
ここまで壊れた(苦笑)アラフォーは集まってないはずな
アラフォーオーケストラの本番まで、なんだかんだであと3日。
お時間あるかたはぜひ足をお運びください。
アラフォーな人たちはどこかしら共感してもらえるのではないかな。

演奏会まであと3日。お楽しみに! >演奏会情報はこちら


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