アラフォーで落ち着いた人たち

案外どんな人生歩んでいてもアラフォーまでくると
それなりに落ち着く作曲家が多いのねえ、と
イマサラながらに実感しているうんちく担当のさこです。

ええと、落ち着いてるのかそうなのかよくわからん代表の呼びかけで集まった
アラフォーオーケストラの本番まであと4日だったりしますが。

 

いや、曲決めの時に、それぞれの作曲家のアラフォー時代に作られたものを
ピックアップしていたわけですが、そうなると必然的に略歴を追うわけで。
まあ、会社勤めみたいな安定感には欠けるけれど、
20代のやんちゃっぷりに比べればびっくりするくらい落ち着いた人が多い(笑

せっかくなので、いろんな作曲家のアラフォーを
2回にわけてこの場でご紹介しようかと。
まず今回はアラフォー時代に落ち着いていた人たち(笑)から。

 

ひとまずバロック時代の作曲家は
比較的勤め人として安定している人が多いのです。
宮廷作曲家とか、教会やオペラハウスの音楽監督。
ヴィヴァルディ、ヘンデルあたりは宮廷勤め。
バッハはライプツィヒの聖トーマス教会の音楽監督、
テレマンはハンブルク市の音楽監督。
50年くらい後の時代のハイドンもやはりエステルハージ家の音楽監督。

しかしこの後くらい(18世紀後半)から、王侯貴族は没落したりなんだりで
音楽家を抱える余裕がなくなってしまい、勤め人は少なくなります。
その中で宮廷勤めの筆頭はヨハン=シュトラウス一族。
ハプスブルクはすごかったのですよ…。
あと、ロシア帝国だとバラキレフは宗務局(宮廷礼拝堂)で働いていました。

かわりに多かったのがピアノや音楽学校の教師をしながら
楽譜や理論書を書く人たち。
ピアニストならお馴染みのツェルニー、クレメンティ、クラーマーは
その典型です。
ブルックナーもこのタイプ。アラフォー終わり頃にウィーン国立音楽院の教授に。
デュカスはパリ音楽院、シェーンベルクはベルリン芸術大学、
バルトークはブダペスト音楽院、イザイはブリュッセル音楽院、
グラズノフやリムスキー=コルサコフもペテルブルク音楽院で教えています。
グラナドスは、グラナドス・アカデミーを自分で設立しています。
そしてエルガーも地元でヴァイオリンを教えて生計を立てていたので
このカテゴリーかしら。
ボロディンも同じく大学で教えていたものの、
分野はなんと「化学」。30歳過ぎて作曲を始めた方なのでした。

王侯貴族勤めは廃れるものの、各地のオペラハウス付きという地位は健在でした。
今回取り上げたブラームスもそう。しかも、その中でもかなりの出世タイプ。
ウィーン楽友協会の音楽監督。
天国と地獄のオッフェンバック、ニールセンもオペラハウス付きの作曲家。
また、18世紀であればハウス付きでなくても
オペラ作曲家として生計が成り立つ時代でもありました。
ヴェルディやドニゼッティ、プッチーニがそのくくりに入ります。
これが19世紀になると映画音楽家と名前が変わります。
コープランドはアカデミー賞作曲家なのですよ。

あと、忘れてはならないのが、ヨーロッパならではの教会オルガニスト。
グノー、サン=サーンス、フォーレがこの中に入ります。

 

…さて、まだまだ名前の出ていない人たちは、
やはり少し変わった人生を送っています。
こちらはまた後ほど。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>